初めまして!当ブログ管理人の「しば」です。

この記事では僕の自己紹介をさせていただきます。

自己紹介

名前 しば
血液型 A型
特性 基本は左利き(※生まれつき食事だけは右利き)
得意科目 数学 , 理科(※物理 , 化学 , 生物)
苦手科目 国語 , 社会
昔の趣味 ゲーム , ドラム , ピアノ

(中学時代までしかゲームをしていませんが特に好きだったゲームは…メイプルストーリー , ドラクエシリーズ , がんばれゴエモンシリーズ , 聖剣伝説シリーズ , ボンバーマンシリーズ , エストポリス伝記2 , ff10 , ゴッドイーター , カスタムロボ , スマブラ , カービィのエアライド , 三国無双シリーズ , 戦国無双シリーズ , 俺の屍を超えてゆけ , 等)

今の趣味 ダーツ , YouTube動画鑑賞 , 散歩 , (たまに)旅行&温泉
嗜好品 タバコは一切吸いません

お酒は月に1回程度(ハイボールしか飲みません)

ブラックコーヒーは朝だけで良いので毎日1杯は飲みたいです

好きなスポーツ バスケ , 卓球 , バドミントン , 水泳 , ボウリング(どれも最近は全然やってません)
好きな芸能人 ダウンタウン,チーモンチョーチュウ
好きなアーティスト Janne Da Arc , SIAM SHADE , aiko , チャットモンチー
好きな言葉 継続は力なり , Without haste, but without rest.
大事にしている事 他人を羨んだり妬んだりすることなく自分自身の人生に熱中する事

大学受験に失敗し
1日平均13時間~14時間の勉強をした浪人時代を経て
ようやく入った国立大学の医学部を辞めて
スロプロになった男の物語です。

自分自身の過去をさらけ出して
共有させていただければと思っていますので
ぜひご覧ください。

【目次】
1.【幼少期~小学生時代】人生の序盤で「自分」を見失う
2.【中学生時代】学生時代では1番楽しかった時期
3.【高校生時代】2度と戻りたくない地獄の始まり
4.【浪人時代】日本一厳しい予備校の寮に自ら志願して挑む
5.【大学生時代】ド田舎者が世界の広さを知った時期
6.【スロプロ時代】ピンチはチャンスを学び将来に対する不安が無くなる
7.【自営業時代~今】長年の違和感を解消し本当に好きな物・好きな事に出会う
8.読者さんに伝えたいこと

【幼少期~小学生時代】人生の序盤で「自分」を見失う

僕は日本の中でもかなり田舎の地域に生まれました。

家の近くには
カラオケやファミレスなどが一切なく
学生のころは友達と家でゲームをして遊ぶか
外で遊ぶことしかできないような場所でした。

僕は母子家庭で育って
母親が仕事をしながら家事もしてくれていました。

小さい頃
学校から帰って友達と遊べない時は
親とキャッチボールをしたり
ゲームをしたりしたかったのですが
仕事から帰ってきた母親は
すぐ夕飯の準備をしなければならないので
ほとんど一緒に遊べませんでした。

最初は

「なんで?…」

「〇〇君はお父さんと夕ご飯の前にキャッチボールをしているのに…」

などの感情がありました。

でも小学校2年生くらい?の時に
仕事場の制服を着ながらエプロンを付けて
そのまま台所で夕食の準備をしている母親の姿を見て

「あ、、、僕が我慢しなきゃいけないんだ」

「そうか、自分がちゃんとしないとダメなんだ」

という感情が本当に生まれたんですよ。

今でも
仕事場の制服を着ながらエプロンを付けて
そのまま台所で夕食の支度をしている
母親の姿を鮮明に覚えています。

当時は小学2年生くらいでしたので
背も低くかなり見上げて母親を見ていた映像が
脳裏に焼き付いています。

そういった環境があって
誰かに言われたわけでもなく
だんだんと自分で自分を押し殺す生き方になっていったんですよね。

学校で毎週行われる漢字テストでは
自分のダメな所を親に見せて心配させてはいけないと思い
小学校を卒業するまで100点しか取りませんでした。

当時は漢字ドリルの該当ページを3回やってくる宿題があり
3回やってすぐに遊べばいいのに
テストで100点を取るために
毎日4回やって提出していました。

小学生ながら
仕事と家事を両立している親に
完全に気を遣っていました。

そういったワガママを聞いてもらえない経験や
親の忙しそうな姿を見てきて
幼いなりにも我慢することを覚えたり
空気を読んだりするようになっていきました。

その影響で小学生の頃から
学校の先生や周りの友達などからは

・大人びている
・責任感がある
・しっかりしている
・真面目

などと言われるようになっていました。

ただし
頭が良かったかと言われると決してそうではなかったので
学年の中でも成績がずば抜けて良いとか
そういうことはありませんでした。

しかし
とある出来事がきっかけで
本格的に勉強を真面目に取り組むこととなり
とにかく成績だけを気にするようになってしまいました。

それは小学校6年生の頃の出来事でした。

クラスの生徒一人一人が自分で決めたテーマについて
ある程度時間をかけて
パソコンや本で調べて模造紙にまとめ
一人一人黒板の前に立って発表する
という授業がありました。

発表が終わった後に担任の先生から

「あそこはもう少しこうしたほうが良かったね」

などと指摘が入るのですが
僕の発表が終わったときだけ先生から

「何も言うことはありません。完璧です。」

と言われてしまったのです。

クラスで唯一
先生から何も指摘されなかったために
その日から友人たちが僕のことを少しからかうように

「優等生」

と呼ぶようになりました。

最初は照れくささはありつつも
決して悪口ではないので
ちょっと良い響きだなと思ったこともあったのですが

「優等生」

というレッテルが貼られてしまったことによる
後の弊害はとても大きいものがありました。

それは様々な場面で垣間見えたのですが
例えばテストの時。

採点が終わってテストが返ってくると
僕のテストの点数が良い時は友人たちが

「さすが優等生」

と言ってくるのに対し
僕のテストの点数が悪いときは

「優等生なのにどうしたの?」

「優等生が解けないならウチが解けなくても仕方ないかぁ~」

などと言ってくるようになったのです。

彼らに決して悪気があったわけではないですが
僕はかなりのプレッシャーを感じるようになっていきました。

それからは
授業中に先生に指名されたら確実に答えられるようにとか
テストで毎回高得点を取れるようにとか
常に勉強に対して必死に完璧を目指すようになってしまいました。

【中学生時代】学生時代では1番楽しかった時期

中学生になっても
勉強を最優先に考える生活は変わりませんでした。

それが分かる英語のエピソードがあります。

僕は中学1年生の時に
毎日ノート20ページ分
英単語の練習をしていました。

ノート2ページやってくるごとに
成績に関与するシールがもらえるため
それ目的で勉強をしていました。

ハッキリ言ってやりすぎです。

英語の成績はオール5どころか
完全にオーバーキルでした。

中学時代も勉強量は多かったですが
若くて体力があったために
かなり充実していました。

あの時が時間の使い方が1番上手かったのではないか?
と思うくらいです。

中学2年生~3年生前半にかけては
勉強・部活・生徒会・恋愛・趣味などを
全てこなしていました。

何もしていない時間が1秒もないくらい
常に何かをしていました。

勉強や部活は大変でしたが
他がめちゃくちゃ充実していましたし
当時バスケ部とサッカー部とバドミントン部の間で流行していた
『メイプルストーリー』というゲームが
死ぬほど面白かったので
中学2年生~3年生前半は
学生時代の中で本当に楽しかった期間です。

中2の時は
メイプルストーリーのゲーム内通貨をかけて
昼休みに皆でトランプの大富豪などをしていました。

生徒会では1つ上の先輩の卒業式の時に
在校生代表として送辞を読み上げることになったり
夏休みを削ってまで生徒会会議に参加したり
嫌なことは多かったのですが
それ以上に生徒会メンバーの仲が良かったので
楽しい時間を過ごすことが出来ました。

過去に戻れるとしたら
唯一戻っても良いかな?と思えるのが
中2の時期です。

中3の後半になると
部活も引退して生徒会も後輩に引き継いで
いよいよ本格的に高校受験の勉強がスタートしました。

僕はこの時期になると
周りが遊んでいようと昼休みにも勉強をするし
登下校の途中には
暗記カードを持ち歩いて
完全に勉強に気持ちを切り替えていきました。

勉強に気持ちを切り替えずとも
普通の時から勉強はめちゃくちゃしていたので
完全に勉強に気持ちを切り替えると
勉強以外を全て捨てる感じになります。

勉強以外のことを切り捨てるのは
そこまで大変な作業ではありませんでしたが
唯一捨てるまでに時間がかかったのが
メイプルストーリーでした。

当時のメイプルストーリーは
本当に楽しかったので
受験期になっても周りの友達は
ゲームをやっていました。

しかし僕は
自分を押し殺そうと頑張って
ゲームを引退しようと思いました。

その結果として

引退⇒復活⇒引退⇒復活・・・

このように
なかなかやめることが出来ない状態が続きました。

しかし高校に入って
自分を押し殺す勢いが増して
メイプルストーリーを引退したときが
完全に100%「自分」を見失ったことが確定した瞬間でした。

【高校生時代】2度と戻りたくない地獄の始まり

高校生になると
勉強が難しくなるし
予習や復習にかける時間も一気に増えました。

僕が通っていた高校は
偏差値40前半の普通の高校でした。

都会の人からすると
底辺高校のように思われるかもしれませんが
めちゃくちゃ田舎の地域でしたので
このような学校が普通でした。

高校生になってから
1番最初の進研模試(全国的に行われる学力テスト)で
校内1位をとってしまった事が
地獄の始まりでした。

5月か6月くらいの出来事だったと思います。

これは自慢というポジティブなものではなく
地獄の始まりというネガティブなものです。

テストが返却されてから
担任の先生に職員室に呼ばれて

「これからどんどん模試を受けていった方が良い」

「今度〇〇市の各高校から数人ずつが集まって
難易度の高い模試を受けるから
お前も受けてみろ」

などと言われてしまい
断ることが出来ずに休みの日に先生の車で会場まで行って
模試を受けることになりました。

それからは
24時間勉強のことを考えざるを得ない生活が始まりました。

この時期に
大好きだったメイプルストーリーを辞めたので
このタイミングで完全に「自分」というものを捨てました。

学校内での先生の期待も高まっているので
授業中にも当てられやすくなるし
プレッシャーに押しつぶされそうになっていきました。

本来であれば予習というものは

「授業の前に分からない所を明確にして授業で解決するための作業」

なのですが
授業中に当てられて答えられないのが嫌で
予習で完璧を目指すようになってしまいました。

つまり予習の段階で
分からないことがない状態で
いつ先生に当てられても答えられるようにして
授業に挑んでいたということになります。

ハッキリ言って時間の無駄です。

今でこそマジで時間の無駄でしかなかったことは
理解できるのですが
当時は知識も経験もなく必死でしたので
とにかく勉強に食らいついていました。

その結果として高校1年生の時は
1日3時間くらいしか寝ることが出来ませんでした。

学校から帰ってきて朝3時~4時くらいまで
予習、復習、宿題をして
そこから寝て朝7時くらいに起きる感じです。

睡眠時間が足りていないので
勉強をしても記憶の定着率が悪く
悪循環だったことは今は分かります。

授業中は眠気よりプレッシャーの方が勝つので
それだけ睡眠時間が少なくても
高校時代に授業中に居眠りしたことは
1回たりともありませんでした。

小学生の頃や中学生の頃は
周りには「大人びている」「落ち着いている」「真面目」と
言われることが多かったのですが
高校生の頃には「老けている」と言われるレベルでした。

当時は冗談抜きで
勉強のことが常に頭の中にあったので
休みの日にゲームをしようと思ったり気分転換をしようと思ったりしても
素直に楽しむことが一切できなくなり
罪悪感しか感じないようになりました。

普通であれば高校生になったら
友達とショッピングモールに出かけたり
カラオケやボウリングに行ったりすることもあると思いますが
僕は一切ありませんでした。

田舎過ぎて
ショッピングモールなどが遠いというのもありますが
純粋に遊ぶことに対する罪悪感の方が強かったのです。

だからこそ
電車の乗り方やバスの乗り方なんかは
大学生になって初めて知りましたし
友達とカラオケやボウリングに行くという経験も
大学生になってからのことです。

そんな勉強中心の生活が続き
高校2年生の時には
県内の各高校の成績優秀者が集まる
2泊3日の勉強合宿に参加させられたり
高校3年生の時には
月に1回もしくは月に2回も
模試を受けさせられたりしました。

授業の予習、復習、宿題もあるのに
そこに毎月のように
模試を受ける時間と模試を復習する時間が入ってくるので
仕事だったら過労死するレベルでした。

エスタロンモカという眠気覚まし薬を常備して
無理やり起きて勉強をしていましたが
当時は若かったおかげか
体調を崩すことはそんなにありませんでした。

仮に熱が出たとしても
学校を休んで1回だけでも授業を聞かなかったら
置いていかれるのではないか?という恐怖が強すぎて
学校に行っていたので
高校3年間を通して皆勤賞でした。

睡眠時間が足りていないし
精神的にもどんどん追い込まれていったので
大学受験が順調に進んでいくことはありませんでした。

当時の大学受験では
国立大学志望者の基本的な流れは

1次試験(センター試験)

1次試験の結果を受けて志望大学を決定し出願

2次試験(第1志望国公立大学個別試験:前期)

2次試験(第2志望国公立大学個別試験:後期)

でした。

センター試験を受けた時点で
明らかに志望校に合格する望みはほぼ0%でした。

しかし
絶対に志望校を下げたくなかったので

「絶対にその大学に行く」

と決めていました。

絶対に志望校に行きたかったわけではなく
絶対に志望校を下げたくなかっただけです。

極度の負けず嫌いの影響や悔しさだけです。

三者面談の時に先生にそのことを伝えたら

「じゃぁ落ちること前提で来年の練習のためにその大学を受けなさい」

と言われて
落ちることが分かっている状態で
その大学を受けました。

あんなに頑張って勉強してきたのに
結果発表を見るまでもなく
テストを受ける前に浪人が決まっていて
当時はめちゃくちゃつらかったです。

そして
つらさに拍車をかけたのが
卒業式です。

高校の卒業式では
首席ということで
学年代表として卒業証書を受け取りましたが
その時には浪人が決定していました。

卒業式で泣いている友達はたくさんいましたが
僕は涙が一切出ませんでした。

卒業式の後も学校に残って勉強し
卒業式以降も制服を着て
学校に通うことが決まっていたからです。

卒業式の3日後くらい?に
落ちると分かっていた合格発表がありました。

家のパソコンで
合格者の番号を見ましたが
当然自分の受験番号はなく
落ちることが分かっていたにも関わらず
その時は泣きました。

絶対に落ちることは知っていたけど
今まで人生をかけてやってきたことが
全て否定されたような気がして
涙が止まりませんでしたし
その結果を親に報告することほど
残酷なものはありませんでした。

高校生として最後のイベントの離任式の際には
全員がスーツを着ていて
髪を染めている人たちもいる中
僕だけが制服を着て出席をしました。

僕の他にも浪人が決まった子はいたのですが
彼らは受かるつもりで受験をしているので
スーツを買ってもらっていました。

しかし僕は
受からないことが確定している状態で受験をしていたので
浪人することが卒業式の前から決まっており
離任式の際にスーツなんて買っていませんでした。

高校時代は
1年生の最初の最初から
3年生の卒業式と離任式の最後の最後まで
本当に地獄でしかありませんでした。

何があっても
高校時代だけは戻りたくないです。

【浪人時代】日本一厳しい予備校の寮に自ら志願して挑む

小さい頃から「自分」を見失い
だんだんと自分を押し殺すようになっていったので
高校時代に受験で失敗をして
浪人が決まった時には

「日本一厳しい予備校に行こう」

と決めていました。

限界まで自分を追い込み
最大の努力をして受からなかったら
もうどうしようもないじゃないですか。

だから入るなら1番厳しい所にしようと思い
親にお願いして家を離れて
寮に入れてもらいました。

あえて予備校の名前は公言しませんが
ネットで

「日本一厳しい予備校」

と検索したら検索結果は全て
その予備校の名前で埋まると思いますので
気になる方は調べてみてください。

今思えば本当に懐かしいのですが
寮から学校へ行くときは
多くの寮生が単語帳を見ながら
登校していました。

そして

・テレビ禁止
・パソコン禁止
・携帯電話禁止

こんなのは序の口です。

寮内の他人の部屋に
たった1歩でも踏み入れようものなら
それが見つかったら
その日のうちに寮から追い出され
実家に強制送還されて
毎日反省文を書かされます。

もちろんその間も
予備校や寮にかかるお金は発生します。

決められた門限に1秒でも遅刻しようものなら
またもや実家に強制送還。

予備校の授業が
最大で9限まであるのですが
9限授業の時は
予備校から寮まで
ダッシュで帰らないと
門限に間に合わないレベルでした。

9限の時は寮生がダッシュして帰るのは
一種の名物みたいなものになっていました。

そして
学校があろうが
模擬試験があろうが
お盆だろうが年末年始だろうが
寮では100%必ず【毎日】夜7時~11時半近くまで
全員で自習を行います。

しかも僕がお世話になっていた寮は
1Fが自習室になっていて
カーテンは開けっ放しなので
外を歩いている人達に
勉強している姿が丸見えで
公開処刑みたいなもんです。

寮の中には

「自習室は戦場だ!」

「後1分の勉強が合格に必要な後1点をもぎ取る!」

といった戒めみたいな紙が
いろんな所に貼りだされています。

大変すぎるくらい大変でしたが
本当にご飯と風呂と寝る時間以外は
全て勉強に費やすための設備が整った
ある意味受験に最適の環境でした。

そんなエグい予備校に入り
1番最初にクラス編成のテストがあったのですが
こともあろうかそのテストのせいで
理系のトップクラスに入ることになってしまいました。

クラスメイトの出身高校を聞いてみると
その地域の超エリート校ばっかりでした。

中には全国的に有名な
ラ・サール高校出身の人も多々いました。

そんなクラスに入れられた僕ですが
最初は

「絶対に無理。やっていけない」

と思いました。

クラスは80人程度いたのですが
模擬試験を行えば
必ず下から3番目以内。

しかも全順位と点数と氏名を
教室の壁に貼りだされる始末。

そもそもそのクラスには
2浪や3浪は当たり前で
去年医学部に数点足りなくて落ちました
みたいなほとんど出来上がっている人達が
いっぱいいました。

自分がバカすぎて
めちゃくちゃ落ち込みました。

マジでつらすぎて
寮に入って2週間くらいは
本気でいつ脱出しようかって悩んでました。

あの2週間を思い出して
文章を書いている今でさえ
涙目になります。

それくらいつらかったです。

ちなみに
数年前にガチで寮内から脱出者が出たので
脱出に使われた非常口のドアノブに
ガムテープがグルグル巻きになっていました。

それくらい追い込まれる環境だということです。

(途中からガムテープは無くなりましたが
最初はマジで非常口の意味ないじゃん
と思っていました。)

でも
せっかく寮に入れてもらってるし
親にも申し訳ないという気持ちもあり

「もうやれるとこまでやってやろう」

と思うことが出来たのが
寮に入ってから2週間後くらいのことです。

それからというものの
一生懸命頑張っていても
テストが行われる度に
順位はクラスで下から3番目以内のままでした。

でも勉強時間だけは
クラスでベスト3位に入り続けました。

それくらい勉強しました。

アホほど勉強しました。

1日の平均勉強時間は
13時間~14時間でした。

浪人時代の1年間を通して
1日の最低勉強時間が7時間です。

もちろん
お盆も正月も含めてです。

文房具を買ったり髪を切ったりした日で
1年間通しての最低勉強時間

「1日7時間」

でした。

1日たりとも勉強をしなかった日はありません。

本当に
飯・風呂・睡眠以外は
ほぼ全て勉強に費やしました。

それを1年間続けました。

絶対に勉強量だけは
誰にも負けないように頑張った結果
秋ごろ1度だけ模擬試験で
クラスで16位になりました。

ここまでくると自信もついてくるし
寮の生活にも慣れてくるので
だんだんと楽しくなってきました。

苦しい中にも楽しさがあるという感じです。

最終的にセンター試験では
この1年で自分が1番勉強したと思っていたので
自信があり全く緊張しませんでした。

理科の試験時間は1科目60分で
「物理」と「化学」の
2科目を受験したのですが
両方とも15分程度で解き終わってしまいました。

センターの過去問は
初年度から全部解いてるので
途中から本当に選択肢を見ただけで
答えが分かる時もあるくらいのレベルでした。

それくらい徹底的にやり込みました。

ただし
国語と社会が苦手なので
かなり苦戦はしました。

センター試験が終わり
寮に帰ったら
思うように力が出せず
泣いている人がいました。

数年前には
僕がお世話になっていた寮の中で
センター試験後に寮に帰り
自己採点をしている最中に

「自分の目標の点数に足りなかった」

ということで
過呼吸で倒れて
救急車で運ばれた人もいるそうです。

それくらい
この1年間頑張った
ということです。

寮内には
精神病になってしまい
自宅療養することになった人もいました。

やりすぎじゃないか?
と思う方もいるかもしれませんが
今の日本教育を必死に頑張った結果
周りの期待もあるし今更やめられないし
もうやるしかないと頑張って
めちゃくちゃツラい想いをしている人は
本当にたくさんいます。

小さいころから勉強を一生懸命やってきた人は
そのくらい受験に対して本気でやっています。

特に
日本・中国・韓国などでは
そのような現象が起きています。

中国では
勉強による中学生の「過労死」
が問題になっていますし
韓国では
受験に遅刻しそうになった受験生がいたら
警察が動くくらいです。

そのくらい受験は大きいもので
ツラく厳しく人生を変えるものです。

合格した時の喜びはとてつもないですが
失敗した時の挫折感、苦しみ、絶望は
他の何とも比べられません。

結局僕は
1年の浪人で志望大学としていた
そこそこ有名な大学の医学部に入ることが出来ました。

あの1年間は
言葉にできないくらいツラかったです。

しかし予備校時代に
日本教育の深いところを
自分自身の肌で感じることが出来て
本当に良かったと思っています。

この経験は
他の何にも変えることが出来ません。

【大学生時代】ド田舎者が世界の広さを知った時期

大学生になると
一人暮らしを始めて
時間にも少し余裕が出来るので楽しかったです。

友達や先輩と
頻繁にラウンド1でボウリングをしていました。

飲み会なども増えるので
お酒の力を借りて盛り上がることも多かったです。

元々ドラムやピアノをやっていたので
大学1年生の前期では
軽音楽部に入って楽器をやったり
大学1年生の後期では
個別指導塾のバイトを始めて
勉強を教えたりしていて
結構楽しかったです。

しかし結局
全てを捨てて死ぬほど努力して入った大学なのに
2年生の夏にやめることになります。

友人もそうですし
ネット上でもそうですし

「なんでやめたの?」

とか

「もったいない」

とか

今までにめちゃくちゃ聞かれました。

もう本当に聞き飽きるくらいに。

でも僕は
1度たりとも大学に戻りたい
と思ったことはありません。

よく恋人と別れてから

「離れてから良さに気付いた」

などと言うように
僕も大学を1度離れることで
戻りたいとか良さに気付いたりするかな?と思っていたのですが
一切ありませんでした。

それでは
辞めた理由をお話させていただきます。

医学部に入学したものの
1年生の時は基礎教養ということで
物理学・線形代数などの理系科目のみならず
心理学・社会学・美術学など
いろいろな科目を学びました。

また
いろいろな学部の生徒が集まり
小グループにわかれて
協力して調べものをして発表をする
といった授業もありました。

授業を通して
他の学部の方々と話すことで
自分がどれだけ適当に進路を決めていたかが
分かってしまいました。

そこそこ名のある大学に入学したので
頭が良い人が多いわけです。

経済学部の人の中には
すでに会社を持っているとか
FXや競馬で生計を立てている人もいました。

大学1年生の授業で
小グループ内の自己紹介中に
普通に名刺交換が行われていたりしました。

また
中には海外の留学生もいて
仲良くなった中国から来た女の子は

「安いお金で質の高い教養が身につけられるから日本の大学に来た」

と言っていました。

周りには
しっかりと意志を持って
大学に学びに来ている人たちがいました。

冷静に
自分が医学部に来た理由を考えてみると

・勉強を頑張ってきたから
・周りの期待に応えるため
・みんなに尊敬されるから
・給料が良いから
・一生安定だから

そんな理由ばかりでした。

大学に入って
他学部の生徒と交流して
初めて気づきました。

別に自分がやりたいことじゃないんだ、と。

ただただ
周りの目を気にして
利便性を求めた結果
医学部に来たんだと。

こんな不純な動機で
医学部に入ったやつに
治療を受けることになる患者さんに申し訳ない
という気持ちもありました。

しかしそれ以上に
自分のやりたいことじゃないんだ
って初めて気づきました。

そして
人生についていろいろ考えている時に
運命のようにパチスロとネットビジネスに出会いました。

パチスロやネットビジネスで
生計を立てている人がいる
ということをブログを通して知りました。

それらに共通することは
自分の力で稼いでいるということです。

僕の今までの人生には
その発想はありませんでした。

誰かに雇われるのが当然で
その中から良い仕事を選べばいいや
と思っていました。

完全なる雇われ脳というやつです。

しかし
自分の力で稼いで生きていける
という世界を知ってから
完全に僕の中での常識が変わりました。

それまでの僕は
すべてを人のせいにして生きてきました。

元々の頭が悪いのは
勉強していない家庭に生まれたからだとか
高校時代に受験に失敗したのは
頭の悪い高校だったからだとか
先生の教え方が悪いとか
そんなのばっかりでした。

なんで自分ばっかり
こんなにツライ思いをしないといけないんだ
全部周りが悪いんだ
そう思っていました。

その影響で
家族を恨み学校を恨み先生を恨んでいました。

おそらくこのまま行っていたら
勤め先の病院内の上司は
間違いなく恨んでいると思います。

飲み会でもあいつが悪いとか
上司のせいでとか
文句ばっかり言っていたと思います。

でも
自分で稼いで生きる世界は
明らかに全てが自分の責任です。

スロットもネットビジネスも
自分が勝手に始めたら
人のせいにすることはできません。

それが分かった時に
自分はこの世界に入ろうと思いました。

この世界に入ることで
全てを人のせいにして
自分は悪くないと思う最低な人間を
変えることが出来るかもしれない

そう思いました。

そして大学2年生の夏が訪れます。

試験期間の真っ最中でした。

あれだけ勉強してきたのに
人生で初めて
勉強が出来なくなりました。

ペンが動かなくなったんです。

1度しかない人生
自分のやりたくないことをやって
周りにちやほやされて
でも人の悪口ばっかりいって
終わりでいいんか?

って思いました。

結局
学校をやめようと思った日に
やめることにしました。

その後は
関わるたくさんの人に
やめるなと言われました。

自分の意志は固かったのですが
お世話になったたくさんの人のことを想うと
3日間何も食ることが出来ず
寝ることも出来ませんでした。

人生が180度変わる出来事ですからね。

でももう戻ることは考えられませんでした。

あのままだったら
どれだけ最低な人間になっていたか。

人のせいにするだけでなく

「勉強が出来ない人はゴミ」

とか

「頭悪いやつは死ねばいい」

とか本気で思っていましたからね。

アメトーークの
勉強大好き芸人で
オリラジの中田さんが
受験期に

「東大法学部から財務省事務次官(官僚のトップ)になれなければそれ以外は全てクズだと思っていた」

みたいなことを言っていました。

僕もその気持ちがすごく分かりました。

とにかく自分が苦しいので
周りを見下すことで喜びを感じて
自分は頑張っているんだから
周りが悪いと全て他人のせいにしていて
本当にヤバかったです。

こんな自分に対して
荒治療かもしれませんが
自分の力で稼ぐ世界に飛び込むことにより
他人のせいに出来ない状況を作り
そして自分のやりたいことをやって
笑いたいと思いました。

学校をやめてからは
受験に失敗したのは高校のせい
と思っていたことに対して
その学校を選んだのは自分だし
結局どこにいても自分が頑張れば良いだけだし

「あれ?よく考えれば結局は自分のせいじゃね?」

と思えるようになりました。

また

「フリーターはゴミ」

とか蔑んでいましたけど

あれ?

良く考えたら

フリーターの人が
深夜のコンビニで
バイトをしてくれるおかげで
夜に買い物できるじゃん。

とか

どんどん
いろんなことが
見えるようになってきました。

幸いにも
大学1年生の冬からスロットを始め
期待値を追って初月からプラス収支を残すことが出来たので
お金のことは何とかなりました。

大学2年生の夏(前期試験の真っ最中)に
大学を辞めようと思った日が来て
その日に大学を辞ることになりました。

【スロプロ時代】ピンチはチャンスを学び将来に対する不安が無くなる

大学を辞めてからは
生計を立てるためにスロプロ専業としての生活が始まります。

スロプロ専業がスタートしたのは
スロット自体を始めてから約半年しか経過していなかったので
知識も経験も不十分でした。

そんな中で
大学を辞めて1か月前後で
マイホにしていたホールから出禁をくらいました。

メインの収入源はそこのホールから得ていたので
かなり焦りました。

しかし出禁になったおかげで
追い込まれるので一生懸命スロットで稼ぐための勉強もするし
ホール開拓のために行動もするので
一気にスロットで稼ぐスキルが急上昇していきました。

「ピンチはチャンス」

とはこのことです。

本当に良い経験が出来たので
出禁にしてくれた店員さんには感謝しかありません。

それから約半年間は
スロット専業として必死で生活費を稼いでいました。

スロプロはサラリーマンと違って
安定して給料が貰えるわけではないし
パチンコ店の店内状況が変わったり
規制がかかったりすると
収支にモロに影響を受ける稼ぎ方です。

しかし初めてそんな生活を経験して
状況の変化や時代の変化に対応する能力を身に付けていくと
将来に対する不安もだんだんとなくなっていきました。

なぜかというと

「不安定に慣れることこそ真の安定」

ということに気付いたからです。

多くの人は安定を求めたがりますが
安定するものは大きな変化が1回起きただけで
完全に崩れ落ちてしまいます。

例えば世間が不況の時代に突入し
終身雇用が約束されていたはずの会社を解雇されて
その後は何も出来なくなってしまうとかですね。

時代は常に動き続けていますので
不安定に慣れて
状況の変化や時代の変化に対応出来るようになれば
「その瞬間」「その瞬間」で
考えて行動する力が身に付きますので
将来が不安ではなくなります。

バランスボールに乗っている時のように
常に不安定な状態に慣れてしまえば
前に倒れそうになれば重心を後ろに持っていけば良い
という風に対応出来るようになります。

専業時代に

「ピンチはチャンス」

という経験をして

「不安定こそ安定」

という気づきを得られたことが
その後の自営業生活にも大きく活躍しています。

ぶっちゃけ
ブログやYouTubeの方が
スロットより圧倒的に時代の変化が激しすぎますからね。

そして専業時代に驚いたことは
周りの反応がガラッと変わったことです。

小学校・中学校・高校ともに
学生時代は周りから尊敬されたり頼られたりするのが
当たり前でした。

そして僕が通っていた大学は
そこそこ有名でしたので
個別指導塾のバイトに応募した時の面接では

「一応は決まりだから
中学生レベルの国・数・英のテストを受けてもらうけど
〇〇大学の学生だから即採用だよ」

と言われたこともあるくらいです。

日本の常識内では
「優秀な人材」という部類で扱われていたと思います。

しかしそんな人間が大学を辞めて
スロプロになったのです。

周りから見たらスロプロは無職ですので
今までは上に見られていたのが
一気に下に見られるようになりました。

友達からは当然のようにバカにされるし
スロプロとして稼働用の車を買う時にも

「本当にお金出せるの?」

と疑われる始末だし
家を借りる時も苦労しました。

最初は精神的に苦しかった時期もありますが
僕としてはとても良い経験が出来たと思っています。

大学生の時までの僕は
勉強をやっていない人達を見下したりしていたので
逆の立場を味わうことはなかなか出来ません。

この経験によって
人間としての幅が大きく広がりました。

スロット自体は好きで始めたわけではなく
大学時代にただただ稼げるから始めただけなので
スロットを打っていて楽しいという感情はありませんでした。

しかし
誰かに雇われるわけではなく
全てが自己責任で
お金を稼ぐことが出来たので
そこが僕にとっては非常に魅力的でした。

高校時代や浪人時代に
アホみたいに勉強をしていた僕にとっては
努力量や行動量に比例して
収入が伸びていく世界は好都合すぎます。

努力すること自体が
全く苦ではないのです。

毎日のように
朝から夜までスロットを打って
家に帰ってもスロットの勉強をしていたので
半年というスロット専業の期間はあっという間でした。

当時は必死でしたが
今となってはそれなりに楽しかったかな?と思えます。

【自営業時代~今】長年の違和感を解消し本当に好きな物・好きな事に出会う

まずはスロットを打ちながら
スロットのブログとYouTubeを始めて
収入を得るようになったので
自営業として開業しました。

特に
SEO対策(検索エンジンで自分のサイトを上位表示させる対策)
についてゴリゴリに勉強をして
スロットブログを開設して約1年後の2016年12月には
月間120万PVを達成することが出来ました。

その時点で
スロットブログからの収益だけで
十分に生活費は稼げていたので
それからはスロットの稼働量をどんどん減らしていき
スロット以外のブログやYouTubeにも挑戦していきました。

1番多い時で
8個ほどのブログを
外注さんを雇いながら運営していた時期もありました。

たくさん勉強をして
たくさん努力をして
たくさん失敗をして
たくさん経験を積みました。

YouTubeに関しては
「しば」としてではないチャンネルで
4か月で250本ほどの動画を投稿して
2か月後には全く更新せずとも生活費を稼げるくらいの月収になったので
当時YouTubeの可能性を感じたのを覚えています。

ブログもYouTubeも
成果が出て稼げるようになりましたが
違和感がありました。

それは

「批判が怖い」

ということです。

アクセスが増えたり
稼げるようになっていくと
いわゆるアンチコメントなども増えていきました。

僕が使っているブログでは
ブログの管理画面を開くと
新しいコメントが付いたか付いていないか?が
1発で分かるようになっています。

1番ヒドい時は

「もしコメントが付いていて
アンチコメントだったら嫌だから確認したくないなぁ」

と思ってなかなかブログの管理画面を開くことが出来ず
新しい記事を書くまでに勇気が必要だった時期もあります。

大学を辞めた後も
20年近く周りの目を気にしすぎる生活を引っ張ってしまい
かなり自分を苦しめていました。

その時期に
とにかく自分と向き合う時間を膨大に設けました。

仕事をしていない時は
ほとんど自分と向き合う時間に使っていたくらいです。

頭の中で思っていることを全て紙に書き出してみたり
ホワイトボードを使って図形的に捉えてみたり
いろいろやりました。

自分と向き合って
深く考えることによって
新しい気付きも得られるのですが
分からな過ぎて吐きそうになったり
落ち込んだりしました。

それを何度も何度も何度も繰り返しました。

1年から2年間くらいは
そんな日々が続いたと思います。

長い時間をかけて
いろんなことを考えましたが

「自分が本当にやりたいことをやる」

これで全てが解決できることが分かりました。

ここで大事なのは

自分がやりたいこと

ではなく

自分が『本当に』やりたいこと

というところです。

例えば学生時代に
ゲームに異常なほどハマった人もいると思います。

ゲームをやっていたら親に

「あんた、いつまでやってんの!ゲームを辞めなさい!」

「そんなにゲームばっかりやってたらバカになるよ!」

などと言われたことがある方もいると思います。

でも結局
ゲームをやるじゃないですか。

親の目を盗んで親が寝た後にこっそりやったり
友達の家に行ってやったり
『本当に』やりたいことって
周りにどう思われようと
周りに何を言われようと
止められないと思うんですよね。

これに気付いた時に
周りの目を気にしている時点で

「僕は『本当に』やりたいをやっていないんだな」

ということが分かりました。

スロットもブログもYouTubeも
稼げるからやっていただけであり
稼げるからやりたいという気持ちはあったかもしれませんが
『本当に』やりたいという気持ちはありませんでした。

だからこそ
批判が怖かったんだと思います。

そこで『本当に』やりたいことって何だろうと思って
考えた結果

やりたいことってなんだ?
⇒熱中できることか

熱中できることってなんだ?
⇒身体が勝手に動くレベルでついついやっちゃうことか

身体が勝手に動くレベルでついついやっちゃうことにはどうすれば出会える?
⇒それを探している時点で身体が勝手に動いていないから探さなくても気づいた時には出会っているのか

探さなくても気付いた時には出会っている状態になるにはどうすれば良い?
⇒好奇心に素直に従えば良いのか

この思考回路にたどり着きました。

好奇心には

拡散的好奇心(いろんな方向の新しいものを知りたいという欲求)
知的好奇心(知識と理解を深めたいという欲求)
共感的好奇心(他者の考えや感情を知りたいという欲求)

の3種類があると言われており
拡散的好奇心の延長線上に知的好奇心があります。

拡散的好奇心に素直に従っていった結果
僕は「マーケティング」が好きだということが分かりました。

「ダーツ」が好きだということが分かりました。

「投資」が好きだということが分かりました。

3つとも知的好奇心を持っています。

ダーツに関しては
もっと上手くなりたいとか
もっと勝率を高めるための勉強をしたいとか
そういった好奇心です。

実際にダーツには
アレンジというものがあって
アレンジを勉強しているかどうかで
勝率が大きく異なってきます。

マーケティングや投資に関しては
もっと知りたいとかもっと試してみたいとか
そういった知的好奇心です。

元々僕は
根っからの理系ですので
研究室に引きこもって何かの研究をするように
時間を忘れて何かに没頭して調べたり試したりするのが好きだ
ということにようやく気付きました。

それに気付くのに
大学を辞めてから4年かかりました。

大学生までの20年間は
「自分」を押し殺して
周りの目ばかり気にしていたので
「自分」というものが
だんだん分からなくなっていましたが
そこから4年かけてようやく分かりました。

「自分」が分かったというか
「自分」を取り戻したという感覚です。

結局は

「何かに没頭して取り組みたい」

「他の誰でもなく自分自身の人生にハマりたい」

そういう風に思っていたのです。

それからは
本当の意味で毎日が楽しくなっていきました。

人間なので
周りに批判されると多少は傷つくものの
昔のように批判が怖いとは一切感じなくなりましたし
批判されても本当にやりたいことは辞めることが出来ません。

もしかしたら
ブログ記事を書くことは
やりたいことじゃないのでは?
と引っかかった方もいるかもしれません。

実はマーケティングを勉強してから
考え方がガラッと変わりました。

ブロガーにとってはブログが全てです。

しかしマーケティングをしている人にとって
ブログ・YouTube・SNS・メルマガなどは
手段の1つであり
マーケティングがしたければ
状況に合わせて手段を選ぶので
ブログをやることは別に苦ではないのです。

なかなか伝わりにくいかもしれませんので
具体例を提示します。

例えば身体を動かすのが好きな人にとっては
バスケ・サッカー・バレー・バドミントンなどは
手段の1つであり
身体を動かしたければ
状況に合わせて手段を選ぶので
友達に「一緒にサッカーをやろう」と誘われて
サッカーをやることは別に苦ではないはずです。

むしろ身体を動かせるので楽しいですよね。

その感覚に近いです。

マーケティングをする手段の1つとして
ブログを運営しているだけですので
別に苦ではないですし
むしろ楽しいです。

マーケティングは稼ぐことに直結するので
ビジネスをする上で大事な要素ではありますが
仮に稼げなかったとしても
僕はマーケティングを知ろうとすると思います。

なぜかというと
単純に面白いからです。

例えば最近あった話だと
僕の住んでいる地域の近くに
店舗数をグングン伸ばしているスポーツジムがあります。

なぜそのスポーツジムが伸びているのか?
ということが自然と気になったので
ネットで検索していろいろ調べてみたら
明らかにマーケティングの中の価格戦略を
本当に上手に活かしていることが分かりました。

それを知るだけで単純に面白いので
別に稼げなかったとしても
マーケティングのことは知りたくなると思います。

マーケティングが好きじゃなかったら
こんな長ったらしい自己紹介記事を書くのは
本当に苦痛でしかないはずです。

しかし僕にとっては楽しい作業です。

このように
『本当に』やりたいことをやるって
めちゃくちゃ大事なだと気付きました。

読者さんに伝えたいこと

僕は今までの経験を活かして
このスロットブログからも
価値を提供する対価として
報酬を頂いております。

たまに

「生活費が稼げているなら別に仕事しなくても良いじゃん」

「自分が稼げているなら人にお金を貰って教えなくて良くないですか?」

といった内容のコメントやメールを貰うことがあります。

僕も昔はそれらに近い意見を持っていたので
気持ちは分かります。

しかし
そういう発言が出てくる場合は

「仕事=お金を稼ぐためだけのもの」

という風に
仕事とお金が完全なイコール関係になっていて
それ以上でもそれ以下でもないと思っているのです。

もちろんその考えは
正解でも不正解でもありません。

「その人の」考え方です。

例えば今の僕が
自分で稼働するとスロットで稼げるのに
なぜ他人にスロットの稼ぎ方を教えているのか?というと

・お金が稼げるから

という理由以外にも

・単純にやりたいから
・スロットという市場でマーケティングを活かしたいから
・同じ考え方を持った人たちと関わりたいから
・本当にスロット稼働が好きな人にスロット関係の仕事を任せていきたいから

などの理由があります。

経験者だからこそわかりますが
お金を稼ぐだけの仕事は
僕は本当に退屈すぎてつまらないです。

今はクライアントさんの中から
僕の仕事の一部をやりたいと思ってくれる方がいれば
仕事仲間として引っ張り上げてくることを
特に意識しています。

別にお金のためだけに仕事をしているわけではないんです。

綺麗事ではなく
マジでそう思っているのです。

もしあなたの常識にはない発想であれば
理解しがたいかもしれませんが

「ふーん、そういう人もいるんだ」

程度に捉えていただければと思います。

そしてもしあなたが

・本気でスロットや設定狙いで稼いでいきたい
・スロット稼働をしながらスロット関係の仕事をして別の収入も得たい
・将来的にはスロットだけではなく他のビジネスや投資などもやってみたい

という風に思っておられるのであれば
下記のメール講座に登録してみてください。

この記事を読んでくださった方の中から
将来的に一緒に仕事が出来る方が出てくると嬉しいです。

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